震災回想録(その1)
--- 3月11日 PM14:00 ---
その日僕はイオン石巻ショッピングセンターの喫茶店にいた。
パーマカルチャーを経験してきた僕よりいくつか年下の青年と
初めて会うことになっていた。
僕等の自給自足のワークショップに興味を持ってくれて、
ある日メールをくれたのをキッカケにメールやツイッターでの交流が始まった。
少し遅れて到着した彼(Y君)は腰が低く、
悪い奴じゃないことはすぐに分かった。
というか、すげーいい奴。
お互いの自己紹介をしながら、どういうことに興味があるのかを
しばらく語り合っていた。
石巻にこんな人がいることがまず驚きだった。
なんだか楽しくなりそうだなぁと思っていた。
--- PM14:46 ---
揺れが始まった。
Y君「ちょっと長いですね…」
確かにちょっと長い。
店内にいた客も同じことを思っていたに違いない。
しばらくして、本格的な横揺れが始まった。
やばい、なんかいつもと違う。
更に大きくなる揺れを感じながら、
(ついにこの日が来てしまった…)と心の中で思っていた。
というのも、
宮城県沖地震が10年以内に発生する確率が70%程度あると言われていたからだ。
店内はパニック状態。
悲鳴も聞こえる。
僕は初めて、自分が死ぬかもしれないという恐怖を味わった。
天井が崩れ落ちてきたらどうしようと不安だった。
しばらくして揺れが収まった。
もちろん店内は停電している。
店内にいた客はみんな一斉に外へ向かった。
僕はY君の手を握り、「落ち着いて行動しよう!」と呼びかけた。
その後止まったエスカレーターを駆け下り、自分達の車へ向かった。
たぶん「気を付けて!」とかそんな事を言って別れたと思う。
急いで車のエンジンをかけ、店の敷地から出ようとする。
でも店内にいた客がみな一斉に出ようとしているからなかなか進まない。
なんとか敷地の外の道路に出ても信号も止まっていて、なかなか右折できない。
その間、僕の心臓の鼓動はずっとMAXで鳴り続けていて、
いつ体の外に飛び出してもおかしくない状況だった。
外は雪がしんしんと降っている。
そんな予報が出ていたのを知らなかったが、なんとなく鬱陶しかった。
そのうちに防災用のサイレンが鳴り始めた。
「大津波警報です。10mの津波が来ます。沿岸には近付かないでください。」
確かそんな内容だったと思う。
津波注意報は聞いたことはあるが、さすがに大津波警報を聞いたのはこれが初めてだ。
とにかく、自分にとっては前代未聞の出来事が起きている。
それだけは確かだ。
道路は大渋滞で、なかなか進まない。
その間に何度も大きな余震が起きる。
車の中にいてもその大きな揺れを実感できる。
とにかく僕は進まなければ行けない。
早く行かなければいけない。
長男が通う保育園に。
でも僕の思い通りにはいかず、
ただただ時間が過ぎるばかりでなかなか車は進まなかった。
そして、この時に沿岸地域で何が起きていたのかも当然知る由もなかった。
まさに悪夢の始まりだった。
つづく。





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